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死にたくなった時、死後の世界

死にたくなった時、死んではいけない。

自殺もダメだ、これには理由がある。

「ここより、今より辛い事、つらい場所、つらい時間はない」

死にたい人はそう思っているだろう。

だが違う真の辛さは自殺した後に味わうのだ。

自殺は生きている意味、第三視点のルールを無視した物になる

その罰を与えられるというわけだ。

ありえないという事はない

その理由は「苦しんで生きている貴方がそこにいる」からである。

単純なことであるが、「ここより苦しい場所はない、死にたい」

と思うのならば、それより苦しい場所はあるのである。

そんな世界の存在理由は何か、あなたには答えられない

わからない、そうだ、そんな貴方には世界の本質がわからない

死後の更なる苦しみも理解できない。

あなたはわからない、その理由は存在しているにも関わらずだ。

生きている意味というものは人間的解釈ではまったくないが

第三視点では意味をもっている。

これは人間的な狭い範囲の解釈では理解するのは困難であるが

今の存在理由、苦しむ意味というのは存在している。

死後の安らぎというものも人それぞれであり

生と同じく平等ではない。

自殺というものは生きるルールを無視したものであり

もっとも厳しい罰を与えられる。

現在の生、生きている状態が罰ならばそれを消化しなくてはいけない

消化しない事に、よりさらに、もっと辛い苦しみが与えられる

自分が何もしてないのにつらい目にあっているという人間は多いが

そんな事はありえない。

理由なくして苦しむ理由などないからである。

その苦しむ理由というのは自分の脳や感情が作り出している

まやかしの心である。

まやかしの心はどうして生まれるか、それはあなたの

心の中のある感情、感覚、記憶など

悪とよばれる物、が生み出しているからである。

まやかしさの辛さに惑わされて永遠の苦しみの中に閉じ込められることがないように

生という罰を全うしてほしい。