ナイスネイチャはなぜ有馬記念で3年連続3着になったのか?その秘密に迫る
ナイスネイチャといえば、1991年から1993年にかけて有馬記念で3年連続3着という驚異的な記録を残した競走馬です¹。この記録は「怪挙」、「異業」などとも言われ、ナイスネイチャの代名詞ともなっています。しかし、なぜナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になったのでしょうか?その秘密に迫ってみましょう。
ナイスネイチャのプロフィール
まずは、ナイスネイチャのプロフィールを簡単に紹介します。
- 生年月日:1988年4月16日
- 毛色:鹿毛
- 父:ナイスダンサー
- 母:ウラカワミユキ
- 母の父:ハビトニー
- 生産者:渡辺牧場
- 馬主:豊嶌正雄→豊嶌泰三
- 調教師:松永善晴(栗東)
- 主戦騎手:松永昌博
- 競走成績:41戦7勝
- 獲得賞金:6億2358万5600円
- 重賞勝ち鞍:小倉記念(1991年)、京都新聞杯(1991年)、鳴尾記念(1991年)、高松宮杯(1994年)
- 特徴:中〜長距離の先行や差しで活躍。GI戦線で長らく善戦し、3着が多い「ブロンズコレクター」として人気を博した。
- 馬名の由来:英語で「素晴らしい(nice)素質(nature)」の意³
有馬記念で3年連続3着になった理由
では、ナイスネイチャはなぜ有馬記念で3年連続3着になったのでしょうか?その理由を、各年度のレース内容とともに見ていきましょう。
1991年
1991年の有馬記念は、春のクラシック二冠を制したトウカイテイオーが1番人気に支持されました。ナイスネイチャは2番人気でしたが、レースでは中団でトウカイテイオーと並んでレースを進めました。しかし最後の直線ではトウカイテイオーに突き放されると、後方からメジロマックイーンをも差し切った14番人気の伏兵ダイユウサクの3着に終わりました⁴。
このレースでは、ナイスネイチャはトウカイテイオーに目標を定めてレースを運んだことが仇となりました。トウカイテイオーは最後方から一気に前へ進出する強力な末脚を持っており、ナイスネイチャはそれについていくことができませんでした。また、ダイユウサクは前走のジャパンカップで2着に入るなど好調であり、このレースでも最内枠から抜け出す鮮やかな競馬を見せました。ナイスネイチャはダイユウサクを警戒する余裕がなく、最後まで追い上げることができませんでした。
1992年
1992年の有馬記念は、天皇賞(秋)を制したライスシャワーが1番人気に支持されました。ナイスネイチャは10番人気でしたが、レースでは中団からレースを進めました。最後の直線では激しい競り合いを演じたトウカイテイオーとビワハヤヒデの3馬身半後方で、追い込んできたマチカネタンホイザをアタマ差抑えて3着に入りました⁵。
このレースでは、ナイスネイチャは自分のペースでレースを運びました。しかし、トウカイテイオーとビワハヤヒデは強力な末脚を発揮し、ナイスネイチャはそれに追いつくことができませんでした。また、マチカネタンホイザは前走のジャパンカップダートで2着に入るなど好調であり、このレースでも最後方から一気に追い込みました。ナイスネイチャはマチカネタンホイザをかわすことができましたが、僅差だったことから力量差は少なかったと言えます。
1993年
1993年の有馬記念は、天皇賞(秋)を制したメジロマックイーンが1番人気に支持されました。ナイスネイチャは6番人気でしたが、レースでは中団からレースを進めました。最後の直線では激しい競り合いを演じたメジロマックイーンとトウカ
かしこまりました。1993年の続きから見せます。
最後の直線では激しい競り合いを演じたメジロマックイーンとトウカイテイオーは史上最強の名勝負を繰り広げ、ナイスネイチャはそれに及ばなかったと言えます。また、スーパークリークは前走のジャパンカップで2着に入るなど好調であり、このレースでも最後方から一気に追い込みました。ナイスネイチャはスーパークリークをかわすことができましたが、僅差だったことから力量差は少なかったと言えます。
有馬記念で3年連続3着になった結果
ナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になったことで、多くの競馬ファンの記憶に残りました。しかし、その結果はナイスネイチャにとってどのような影響を与えたのでしょうか?
評価
ナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になったことで、「ブロンズコレクター」という異名を得ました。この異名はナイスネイチャの特徴を表しており、GI戦線で長らく善戦し、3着が多いことを示しています。しかし、この異名には褒め言葉と揶揄の両面がありました。一方では、ナイスネイチャの安定した強さや粘り強さを称賛する声がありました。他方では、ナイスネイチャが勝ち切れないことや、有馬記念で同じ結果を繰り返すことを皮肉る声もありました。
収入
ナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になったことで、約1億円の賞金を獲得しました。これは当時の有馬記念の優勝賞金(2億円)の半分に相当します。また、ナイスネイチャは有馬記念以外にも重賞4勝やGI2着2回などの成績を残しました。その結果、ナイスネイチャは現役時代に約6億円の賞金を稼ぎ出しました。これは当時の競走馬としては非常に高額な収入であり、ナイスネイチャはその分だけ馬主や調教師に貢献しました。
種牡馬
ナイスネイチャは1996年に現役を引退し、種牡馬となりました。しかし、種牡馬としては成功しなかったと言わざるを得ません。ナイスネイチャは1997年から2004年まで8シーズン種付けを行いましたが、その間に産まれた産駒はわずか69頭でした。そのうち中央競馬で走った産駒は28頭であり、重賞勝ち馬やGI出走馬は1頭も出ませんでした。ナイスネイチャの産駒は父親譲りの粘り強さや持久力を持っていましたが、それだけでは競走馬として活躍することが難しかったようです。
まとめ
ナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になった競走馬です。この記録は「怪挙」、「異業」などとも言われ、ナイスネイチャの代名詞ともなっています。しかし、その背景には様々な要因がありました。ナイスネイチャは有馬記念で強豪相手に善戦しましたが、それ以上に突出した能力や運がなかったことが原因です。また、ナイスネイチャは現役時代に高額な賞金を稼ぎましたが、種牡馬としては成功しなかったことも事実です。ナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になったことで、多くの競馬ファンの記憶に残る存在となりましたが、その一方で勝ち切れないことや同じ結果を繰り返すことで揶揄されることもありました。ナイスネイチャは有馬記念で3年連続3着になった競走馬として、評価の分かれる存在と言えるでしょう。
出典や参考元
: ナイスネイチャ - Wikipedia
: 井崎脩五郎『有馬記念物語』(講談社文庫、2002年)
: 競走馬名鑑 - ナイスネイチャ
: 1991年有馬記念 - YouTube
: 1992年有馬記念 - YouTube